みなさんは、自分の将来を考えるとどんな気持ちになりますか?キラキラしている人の姿を見ては、何だか自分だけ置いていかれているような気持ちになるなんてことも・・・。
「29歳までの道しるべ」では、現在いろいろな舞台で活躍する大人たちを取材し、彼らの20代のお話を聞きました。
いまだからこそ言える“少しでも人生を前に進めていくためのヒント”です。

新卒より、軽率であれ。 —フォトグラファー 佐藤健寿さん

佐藤健寿さんは、ロシアの巨大な廃墟や中国・三国志の子孫が作り上げた村など “世界の奇妙なもの”を撮影するフォトグラファー。2010年に出版した『奇界遺産』は写真集として異例のヒットを記録し、2014年には続編も刊行。現在はTBS系バラエティ番組『クレイジージャーニー』にも人気出演者の一人として出演されています。フォトグラファーとしてこれほどの活躍されている佐藤さんですが、意外にも「写真の道で生きていこう」と思ったことは一度もないそう。大学、美大、就職、アメリカの大学へと自分のペースで20代を過ごすなかで、佐藤さんはどのようにしてフォトグラファーという仕事にたどり着いたのでしょうか。そこには、かけがえのない体験の数々と、やりたいことをやり続けるための内に秘めた覚悟がありました。

19歳〜20歳 1年で大学を辞め、美大へ。

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ー佐藤さんの19~20歳の頃のお話を少し聞かせてください。

佐藤さん:法政大学に入学したのが18歳で、武蔵野美術大学(以下、武蔵美)に入り直したのが19歳の時でしたね。

ーどうして入り直すことにしたんですか?

佐藤さん:大学に入って1年目は大学がつまらなかったので、とにかく友達と遊んでいました。でも、根は結構マジメで、このままではまずいと思ったのがきっかけです。そのときに美大が選択肢に上がったのは、もともと絵や音楽が好きだったから。高校生の頃にも美大進学について考えたことがありましたが、「美大専門の予備校に通うような人でないと無理だ」という先生の言葉を聞いて、漠然と4年制大学に進学したんです。でも、やっぱり美術系のことをやりたくて、美大受験を決心して、予備校には行かずでしたが試験のデッサンは雰囲気で突破できました(笑)。

ー美大に入学して、何か変化はありましたか?

高校と最初の大学では好きな映画や音楽について話せる人が全然いなくて勝手に孤独感を感じていたんですけど、美大に入ったら周りはそういうことが好きな連中ばかり。マニアックだと思っていた自分の知識が基礎教養という世界で、すごくおもしろいと思ったし、むしろついていけるかなと思ったほどでした。

ー武蔵美での4年間は、どういう期間だったと思いますか?

佐藤さん:自ら学んで形にするという、今の自分の基礎が築かれました。それに僕が入ったのは映像学科だったので、写真、CG、映像、メディアアートなど雑食的に学んで、映像や写真など、幅広い知識も身につきましたね。あと当時はパソコンやインターネットが普及し始めた頃で、htmlなども授業で習いました。
その一方で僕は課題で覚えるよりも独学で学ぶタイプだったので、初めてパソコンを買った時には友達から「macを買ってから健寿が学校に来なくなった」と言われるほど、没頭していました。
今でもそういう傾向があるんですけど、興味を持ったものにはものすごい熱中してしまうので。

ーそれほど熱中できるものに出会えたのは、どうしてなのでしょう?

佐藤さん:授業で興味のあるものを見つけたり、友達から話を聞いたりできた環境も大きかったと思いますが、一番は、どんな無意味に見えることでも自分が面白いと思ったら徹底的にやってみたからだと思います。

若いときの焦る気持ちは、すごくよくわかります。「今自分はこれをやってていいんだろうか」っていう不安もあるだろうし。でもそれをやっていればいいと思うんですよね。たとえば、本当は将来写真をやりたいけど全然やれていない、でもサーフィンが好きだという人がいたとします。そしたら、サーフィンをやめて写真をやるんじゃなくて、サーフィンを一度徹底的にやったらいいんです。
サーフィンをやりながらじゃないと撮れない写真もあるわけだし、切り替えるんじゃなくて今自分が得意なことを生かして、違うことにに行けばいいって思います。

若いうちって、色々と限界がある。例えば予算。頑張って稼いだ10万円を何に使うかが死活問題ですよね。
やりたいと思っても時間的な限界もあるし、予算的な限界もあるじゃないですか。だから、無理をして短絡的に近道を選ばなくても良くて、できることに熱中していれば、それがきっと何かにつながっていくはずです。

24歳〜26歳 『奇界遺産』の原点。2年間アメリカへ。続きは次のページへ!