みなさんは、自分の将来を考えるとどんな気持ちになりますか?キラキラしている人の姿を見ては、何だか自分だけ置いていかれているような気持ちになるなんてことも・・・。
「29歳までの道しるべ」では、現在いろいろな舞台で活躍する大人たちを取材し、彼らの20代のお話を聞きました。
いまだからこそ言える“少しでも人生を前に進めていくためのヒント”です。

新卒より、軽率であれ。 —フォトグラファー 佐藤健寿さん

24歳〜26歳 『奇界遺産』の原点。2年間アメリカへ。

画像

20代後半の佐藤さん。旅行先のシンガポールでの1枚。

ー武蔵美を卒業後、アメリカの大学へ留学する際どんな心の動きがあったのですか?

佐藤さん:強い意志があったわけではありません。もう少し何かしていたい、という程度の思いで最初は大学院に進学するつもりでした。でも大学院に通う学費があれば留学できることを知って、アメリカに行くことに。写真や映像をやっていると、どうしてもアメリカが本場みたいなところもありますしね。

ー突然の留学。当時は就職など将来に関する不安はなかったのですか?

佐藤さん:不安はなかったですね。早い段階からWebの世界をかじっていたこともあり、実は学生時代から仕事の依頼や収入があったんですよ。
知り合い経由でプログラミングの仕事があったり、自分のサイトも結構アクセスが多かったので今で言うネイティブアド(Web広告)みたいなこともやってました。Webの仕事ならアメリカに行ってもできるし、いざとなれば、これを仕事にすることができるという保険をもっているような感覚がありました。

ーアメリカ留学では何を学んでいたのですか?

佐藤さん:写真や映像を学んでいました。「1分間の映像を撮ってこい」とか「ワンテーマでフィルム一本を使い切ってこい」とか常に課題があって。日本の美大時代もこういう課題はあったんですけど、その当時は無理やりテーマを自分で作って制作してました。
けど、せっかくアメリカまで来たんだし、自分が本当に興味があるテーマってなんだろうって考えた。それで、素直に考えると子供の頃に不思議なものや場所がすごい好きだったことを思い出して、課題として求められるテーマかどうかはわからないけどとにかくそういう場所に行って、撮影してみようと思ったわけです。

ーそれで、エリア51の写真を?

佐藤さん:はい。今でこそ観光地化されて有名な場所になっていますが、当時はネットにすら詳細が書いてないし、実際に行けるのかどうかさえわかりませんでした。で、地元の人に道聞いたりしながら実際に行ってみると、特別に何かがあるわけではないのですが、なぜかおもしろかったんですよ。

ーどういうおもしろさがあったんですか?

佐藤さん:何とも言えないんですけど、エリア51は子供の頃にテレビでよく見てたんですね。だから映画のロケ地に行くような感覚があって。その後、エリア51の写真を当時流行っていたWebサービスにアップしたら、なんと英語版wikipediaを書いていた人から「この写真を使わせて欲しい」っていう連絡が来たんです。
すごい嬉しかったですし、同時にこういう場所をちゃんと撮影してる人ってあんまりいないんだなと気づきました。それからの3年間は「子供の頃気になったシリーズ」と題して、ある時は南米のUFO村へ、ある時はヒマラヤの雪男の頭皮を探しに行ったり、とにかくいろいろな場所に撮影に行きました。
そうして撮影を続けていたら、日本の出版社から「日本で本にしませんか?」というお誘いをいただいて。もともと強烈な目的意識があってアメリカに来たわけでもなかったので、日本に帰国することにしました。
画像
画像

ー結果として出版が決まったわけですが、「子供の頃気になったシリーズ」を撮っている時に、“これがいずれ仕事につながるかも”と考えていたんですか?

佐藤さん:まったくなかったですね。どちらかというと、テレビや雑誌で繰り返し伝えられていた場所に実際に行ってみると、メディアで伝えられているほどすごくはないなとか、逆にもっとすごい何かに出会えたりとか、そういう気づきが面白くて続けていた感じです。

—そういう意味では、興味あることを続けていたら、それがそのまま仕事につながったという感じですかね?

佐藤さん:そうですね。ただ、実は一度、会社勤めをしたこともあるんです。美大を卒業してからアメリカに留学するまでの間のことです。ベンチャー企業を立ち上げた知り合いの仕事を手伝っていたことがきっかけで、それなりの規模の会社に紹介されてWebディレクターとして就職することになったんです。
だけど入社初日の午前中、自分の机に案内されてパソコンをつけた瞬間に「ここにいてはダメだ」と思ってしまったんです。

—どうしてですか?

佐藤さん:なんというか、先が見えてしまったんですよね。会社から支給されたパソコンには、会社から指定されたソフトが入っていて、みんなそれを使って仕事をするじゃないですか。でも当時の自分はすでにもっと効率の良いやり方を知っていました。それでも会社で働くということは、自分の都合ではなく、会社のやり方に沿っていかなければならない。その状況が自分には耐えられないと思っちゃったんですよね。ちなみに、『深夜特急』の著者である沢木耕太郎さんの場合は、初日の出社途中に「やっぱダメだ」と思って帰ったらしいですよ(笑)。

画像

26歳〜 帰国し、本を出版。ほどよい無謀を続けるために。 続きは次のページへ!