みなさんは、自分の将来を考えるとどんな気持ちになりますか?キラキラしている人の姿を見ては、何だか自分だけ置いていかれているような気持ちになるなんてことも・・・。
「29歳までの道しるべ」では、現在いろいろな舞台で活躍する大人たちを取材し、彼らの20代のお話を聞きました。
いまだからこそ言える“少しでも人生を前に進めていくためのヒント”です。

逃げなければ、たどり着けない場所だってきっとある。―トランスジェンダー活動家 杉山文野さん

杉山文野さんは、日本のトランスジェンダー活動家です。12年前、性同一性障害との診断を受けたご自身のカミングアウト本『ダブルハッピネス』が話題を呼び、セクシュアル・マイノリティの救世主的存在として注目されます。

ところが想像以上の反響に、カミングアウトして楽になったはずの心が再び悲鳴をあげ、もう一度自分自身と向き合うことになります。その苦しみの果てに杉山さんが気付いたのは、他の誰のためでもなく、自分自身が幸せになることでした。

「いけない人」「気持ち悪い存在」と自分を否定する自分との戦い。

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ー性別のことで初めて違和感を覚えたのはいつですか?

杉山さん:物心ついた時にはもう違和感があったと思います。最も違和感を覚えるようになったのは中学のときでした。身体は女性として順調に成長していく一方で、心は男性として成長する。鏡に映った自分の身体が不思議で、不思議で。身体の性別(sex)や社会的に割り当てられた性は「女」だけど、心の性別(gender)は「男」だというトランスジェンダーであることを知り、悩み始めます。

ーずっと秘密にしていたんですか?

杉山さん:17、18歳くらいから、ごく身近な友だちにだけカミングアウトし始めたんですけど、人によって受け入れてもらえたり、上手くいかなかったり。自分は“いけない人”なんじゃないか、“気持ち悪い存在”なんじゃないかと、そういうことでずっと悩んでいましたね。

もっと具体的に言うと、本来の自分はこうで、自分はこうありたいっていう素直な自分の感情と、そうした自分をいけない人、気持ち悪い存在だと否定する、僕自身にも社会から刷り込まれた「常識」との葛藤に苦しんだっていうのが10代後半でしたね。

ーそんなご自分とどうやって向き合っていたんですか?

杉山さん:向き合えたところもありますけど、向き合いきれなかった部分も多かったと思います。10歳からフェンシングを始めたのですが、フェンシングに打ち込むことで嫌なことから逃げていました。その一方で、自分が男性だと認識しながら、女子の試合に出場しているジレンマもずっとあって。

いま思えば、試合で結果が出ないのも、勉強できないのも、それこそ人間関係が上手くいかないのも、何か性別のせいなんじゃないかみたいな、全部セクシュアリティのせいにしていました。

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ーそれは大学に進学してからも変わりませんでしたか?

杉山さん:共学になって、同世代の男友だちができるようになって毎日楽しくて。カミングアウトするのはすごくドキドキはしたんですが、少しずつ言うようになって。

だけど、合コンや海水浴にどうしても参加できないもどかしさみたいなものが常にあった。「フェンシングで忙しいから」と誘いを断って、やっぱりフェンシングばかりやってました。フェンシングに打ち込むことで、逃げていたんですよね。

そんな時、ゼミの先生から「大学院の推薦枠があるんだけど、行ってみないか?」ってお話をいただいたんです。「杉山さんはトランスジェンダーであることをオープンにしているけど、まだまだ世の中は厳しいよ。だから当事者として、理論武装するという意味でも、学術的にジェンダー論を研究してみてはどうだろう?」と言っていただいたんです。

ー自分と向き合うには願ってもないお話じゃないですか

杉山さん:そう思いますよね。でも、実際は卒業後の進路として「大学院だったらいいかな」っていう感じでした。履歴書の性別記入や制服があるような企業では働けないと就職を諦めていたから、それ以外の方法でどうやって社会に出ればいいのかもわからないわけです。何に成りたいとかも、何を勉強したいとかも特にないから、っていう消去法で、ネガティブな選択でした。

執筆作業を通して自分をさらけ出したら、やっと自分が見えてきた。

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杉山さん:じつは、大学院に進学した年、フェンシング女子日本代表に選ばれたんです。その1年は、すべてを注いでフェンシングに打ち込みました。だから、1年目から大学院は休学状態。

ー世界選手権の結果はいかがでしたか?

杉山さん:世界の試合に出てみたら圧倒的な力の差があって。日本代表になることと、世界でメダルを獲ることとは全然次元の違う話だなっていう現実がよくわかりました。「自分で自分の限界を決めちゃいけない」って言いますけど、僕にはハッキリと限界が見えましたね。

また当時は「性別適合手術」を真剣に考え始めていました。もしホルモン投与を始めたら、それはすなわちドーピングになってしまうため、選手は続けられない。どこかで辞めなきゃいけないとしたら、「ここだ」と思ってフェンシングを辞めることにしたんです。

ーそんな杉山さんに転機が訪れました

杉山さん:はい。乙武洋匡さんとの出会いは大きかったですね。『ダブルハッピネス』を出版することになったのも、現在の活動を始めるきっかけになったのも、乙武さんとの出会いがあればこそですから。

ーどなたかの紹介だったんですか?

杉山さん:いえ。あれはちょうど僕が性別適合手術で悩んでいた頃のことです。周囲から「なんで文野はそこまでして男に変わりたいの?」って言われたんですね。「いや、僕は変わりたいんじゃなくて、元に戻りたいだけなんだよね」と訴えたんですが、なかなか伝わらなくて。

手術のことで悶々していると、新宿の明治通りで偶然乙武さんを見かけて、その時ふと僕は思ったわけです。「手足があるってことが人間のあるべき姿ならば、乙武さんは手足を取り戻したいって思ったことあるのかな?」って。気が付くと僕は「すみません」って乙武さんを呼び止め、「乙武さんは手術しないんですか?」って不躾な質問を浴びせていたんです。

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ーいきなりですか?

杉山さん:まったくの初対面でした。でも、乙武さんは失礼な僕の話を真剣に聞いてくれて、「そういうことを言う人まだいないから、本でも書いてみたら」とアドバイスしてくれたんです。

別に本を書きたいとか、活動家になりたいとか、思ったことはなかったんですけど、「何かやれることはやってみよう」と乙武さんがくれた言葉に乗ったことが、本を書くきっかけでしたね。

ー自叙伝を書いたことで何が変わりましたか?

杉山さん:本を書く作業ってすごく自分と向き合う作業なんですよね。「自分とはどういう人間なのか?」っていうのを、自分の感情とかモヤモヤしていたものを言葉に落としていく。それこそセックスの話も含め、恥ずかしいも情けないも悔しいも嬉しいも楽しいもすべて言葉に落としたっていうのは、今振り返るとすごく良い作業だったなと思っています。

ー本を出版し、大学院を修了した後、杉山さんは日本を飛び出します。何か目的があったのですか?

杉山さん:本を出してみたら、自分が想像していた以上の反響がありました。全国の当事者から「助けてくれ」ってメールが止まなくなって。そうすると僕も勘違いするんですよね、「僕には何かができるんじゃないか」って。ところが「何かこの人たちのために」って思っても、結局何もできない。そういうのも苦しくなって、やっぱり逃げたわけです。

ーただ、フェンシングという逃げ場はもうありませんでしたよね

杉山さん:そこで海外へ。50カ国ぐらいプラプラしていたんですけど。いざ海外に出てみたら、こんどは、SHE・HE・Mr.・Ms.・AMIGO・AMIGAなのかと問われ続け。南極船に乗って、南極大陸に渡る時も男性と女性のどちらと部屋をシェアするのか?って。「ああ僕はこんな世界の果てに来ても性別のことから逃れられないんだな」と。

だったら自分が場所を変えるんじゃなくて、自分がいる場所を生きやすく変えていくことが大事なんじゃないのかなって考えるようになったのが、現在の活動の出発点ですね。

「うわ、元に戻った」と思ったら、気持ちが一気に軽くなった。

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ー 一人旅がきっかけで乳房の切除を?

杉山さん:エジプトの砂漠に行ったときです。これまでに見たこともない絶景が目の前に広がり、「わー、すげえな」って感動しているまさにその瞬間、「この身体、イヤだな」ってしみじみと感じて。10年以上、ずっと自問自答してきたテーマでしたが、行き着くところまで行った感じもあって、「手術しよう」と決めたんです。

ー手術を終えた時、後悔はしませんでしたか?

杉山さん:麻酔から覚めて、胸部のガーゼを取った時に「うわ、元に戻った」って思ったんですよね。一度も経験したことない男性の身体になって、“元に戻る”って一体どういう感覚なんだろう?って周りからも聞かれるけれど、僕自身も不思議だし、何とも言えませんでした。とにかく、そこからは嘘みたいに気持ちが楽になって。

ー第二の人生をスタートするに当たって、まず何を?

杉山さん:就職活動でした。約2年間のバックパッカー生活と手術でお金も底をついたので、とにかく働かなきゃって。ところが25歳で大学院を卒業して、旅に出て帰国して、当時は27とか28とかなんですよね。新卒でも中途でもなく、しかもセクシュアル・マイノリティ。そうすると、現実問題まともな働き口なんてないわけです。

ーそんな杉山さんを拾ってくれたのが某外食企業なんですね

杉山さん:ところが、入社したらコテンパンにやられちゃってね。28歳にもなってビジネスメールの書き方一つわからない、電話の取り方一つわからない。現場では、商品の発注の仕方、注文書の書き方はもちろん、厨房やホールなど現場のスキルもなく、本当にずっと怒られてた。休みなく働いて、ヘトヘトになって、手取りが20万あるかないか。「今まで何やってきたのかな」って思いましたよ。

ー無力感に襲われた?

杉山さん:大きな勘違いがあったんですよね。何か自分にはできるんじゃないかとか、みんなとはちょっと違うんじゃないかとか。でも何もない自分に気付いて、20万円稼ぐことがこんなに大変だということを思い知らされました。

でも、その時に自分をリセットできたと思うんです。誰かのためにって、自分の生活もままならないやつが誰かのためにって、ちゃんちゃらおかしいなって思って。性別とか関係なく、とにかくちゃんと仕事と向き合ってやろうと。

ーそこからが本当の再出発?

杉山さん:そうしたら、ある時上司に「杉山、お前やっと動けるようになってきたね」って、声かけられて。褒め言葉でも何でもないんだけど、その時になんだかとてもうれしくて。「ああ、僕が求めていたのは、これだったんだ」と。

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ー杉山さんが求めていたものとは?

杉山さん:“同じ土俵”って言ったらいいですかね。これまでも本を書いた時とか、「頑張ってるね」とか「すごいよ」とか声を掛けてもらったことはあったんですけど、それって「(性同一性障害なのに)頑張ってるね」、「(マイノリティなのに)すごいよ」だったわけです。でも、その時初めて他の社員と同じ土俵で評価してもらえたんです。その時、とても充実感を感じて。

ーやっぱりまだまだ社会はセクシュアル・マイノリティに対して……

杉山さん:厳しいと思います。仕事をするってことは、人が成長する上で、自己実現を果たす上で、すごく大きな割合を占めることなのに、セクシュアル・マイノリティであるってことだけで就職の機会が平等に扱われていないケースが非常に多いと感じます。

そういう現実を目の当たりにして、自分にしかできないことをやらないのはどうかと思うようになり、丸3年お世話になった会社を辞めることにしたんです。

「自分の気持ち」と「リアル」を大事にしてほしい。

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ーそれからすぐですか『Our Voices』の番組MCになったのは?

杉山さん:そうですね。退職後に独立して、全国の学校や企業での講演、メディア活動を本格的に始めました。それと活動資金を稼ぐため、飲食店をオープンしました。

結局、当事者がセクシュアル・マイノリティのための活動をするっていうのは、世の中のためだけでなく、自己肯定感を取り戻す作業のひとつでもあると思うんですね。実際に自分の生活に関わってくることなので。

ー具体的には?

杉山さん:現在の活動のひとつには、性同一性障害の特例法の条件緩和に向けたものも展開しています。僕は未だに戸籍上は女子なんですね。それは法律上、永続的に欠く状態、つまり生殖機能を取り除くってところまでしないと戸籍上の性の変更ができなくて。

僕には付き合って8年になる女性のパートナーがいるんですけど、性別適合手術を受けなければ結婚もできない。だから、こうした活動を続け、制度とか法律を変えることができれば、僕自身の生活の質を上げることができます。

ー何よりもまず杉山さんご自身を幸せにする?

杉山さん:自分自身の幸せを求める活動が、社会生活を送るすべての人たちの幸せにつながれば、自分のハッピーと社会のハッピーが比例していくようなことができれば一番幸せだなと思います。

ー最後になりますが、以前の杉山さんのように自分探しを続ける学生たちに人生の先輩としてメッセージをお願いします!

杉山さん:たった一人しかいない自分の気持ちを大事にしてほしいなって思います。

ーそれは周囲の意見に惑わされない、踊らされないという意味でしょうか?

杉山さん:やっぱり、最後に決めるのは自分なので。他人がどう言っているかを気にするよりも、自分の気持ちを大切にしてほしいですね。

ー中には、自分の気持ちすらわからない人もいるかも知れません

杉山さん:だったら、やりたいと思ったことは片っ端からやってみろ、と言いたい。何していいかわからないのは、ある意味、当たり前だと思うんですよ。わかろうとする方が難しくて。だってそれだけの経験がまだないわけだから。
だったら、頭でっかちにならずにやりたいことをやってみる。

ー食わず嫌いが一番もったいない?

杉山さん:そう思います。食べてみれば美味しいか、不味いか自分の基準ができる。お腹を壊したら、お腹を壊したという経験になる。もしかしたら、「私、料理人になる」くらいの出会いになるかも知れない。

やってみると何かがわかるし、何かが残るし、何かが変わる。100回失敗しても101回目に成功すれば今まで「失敗」と呼ばれていたものは全て「経験」という名に変わります。失敗しないほうが失敗です。無駄になることなんか何もないんですよ。

ーおっしゃる通りですね

杉山さん:あと、もうひとつはリアルを大事にしてほしいですね。百聞は一見に如かずって、本当にそうだと思うので。

いまの世の中、スマホ1台あれば、自宅にいて世界中のありとあらゆる情報が入ってくるわけですよね。でも、所詮は情報に過ぎなくて、リアルではないんですね。

ーその情報に惑わされてはいけない、踊らされてもいけない?

杉山さん:自分から取りに行く情報には信頼性があるし、役に立つと思うんですね。でも、一人歩きしはじめた情報は、いつの間にか一方向のイメージだけが増幅して、事実とかけ離れてしまうことがある。

ー南アフリカが危ないとか、スラム街には近寄るなとか

杉山さん:たぶん、LGBT(※①)のことも同じで。「日本人」と一言で言ってもいろんな日本人がいるように、ゲイにもいろんなゲイがいるし、レズビアンにもいろんなレズビアンがいるわけです。その人たちをぜんぶ「同性愛の人は〜」とひとくくりで語るのは危険です。

また、例え2〜3人のゲイの友達ができたからって「ゲイの人ってさ〜」と語るのは新宿区しか知らない人が日本全国を語るのと同じようなことなのではないでしょうか。少なくともLGBTと接したことがない人は、間違った情報を受け取らないように気を付けてほしいですね。

やっぱり物事を客観的に、多角的に見るためには、いろんな人と出会って、いろんなリアルを感じないと難しいので。いろんなことや人を知れば知るほど、いかに自分が何も知らないか気づきます。そういったことも含め、旅に出るのはいいことだと思うんです。

(※①)「LGBT」とは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を並べた略称

ーできれば一人旅?

杉山さん:すごくおススメします。

ーありがとうございました!

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