みなさんは、自分の将来を考えるとどんな気持ちになりますか?キラキラしている人の姿を見ては、何だか自分だけ置いていかれているような気持ちになるなんてことも・・・。
「29歳までの道しるべ」では、現在いろいろな舞台で活躍する大人たちを取材し、彼らの20代のお話を聞きました。
いまだからこそ言える“少しでも人生を前に進めていくためのヒント”です。

僕の20代? つまらなかったよ。ー合同会社美術通信社 鈴木芳雄さん

マガジンハウスの看板雑誌のひとつ「ブルータス」。そのブルータスの元副編集長として、美術特集やレストラン特集、映画特集など、数々の面白い特集企画を立案、編集業務にも関わってきた鈴木芳雄さん。現在は、フリーランスの編集者として美術系雑誌に記事を書いたり、展覧会のキュレーションや企画広報を務めたり、トークイベントに出演したり。

書くこと、編集すること、喋ることを中心に幅広く活躍されています。そうした華やかな活躍を続ける鈴木さんの20代は、自称「暗黒時代」だったとのこと。その暗黒っぷり、そこから得たものは何なのか。その後の人生にもつながる20代の日々を赤裸々に教えてもらいました。

20〜22歳 車と写真と美術館巡りが好きな実家暮らしの普通の大学生

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鈴木さん:僕の20代?すごくつまんないよ(笑)。いい?20歳のときは慶応大学の2年生だったかな。大学には実家から通っていました。最初の2年間は通学で1時間半くらいかかるのが嫌だったんだけど、一人暮らしするよりバイトしてどこか旅行する方が楽しかったんで、ずっと実家から通い続けました。

当時は、車が好きで昔のMINIとかに乗ってましたね。でも、車好きの半分は「モテたい」という気持ちがあったかも(笑)。たとえば、地方出身の女の子がアパートで一人暮らしをしていて、「じゃあ、僕が駐車場代を出すから一緒に住もう」みたいなことをいいたくてね。まあ、全然、実現できなかったけど(笑)。

ーちなみに、大学時代にアートはすでに興味があったんですか?

鈴木さん:写真を撮るのは好きでしたね。中学の頃から、アメフトやラグビーをやっている友達を撮らせてもらったり、モータースポーツの写真を撮ったり。カメラ雑誌も真剣に読んでいたし、植田正治さんの写真集とか見ていましたね。

ただ、1970年代くらいの写真って、アートの文脈じゃないんだよね。そもそもアートがいまみたいに身近になかった。当時の展覧会とかって、新聞社やテレビ局が主催したものや、デパートの催事場で開かれているものが多かった。それでも、知り合いからもらったチケットを握りしめ、割とたくさん通ったほうだとは思いますね。

大学2年生のときにはヨーロッパに1ヶ月くらい遊びに行って、美術館巡りもしたな。だけど、あくまで趣味の領域。「画家になりたい」とか、「将来、美術分野に進みたい」とかはまったくなかったですね。

23〜26歳 憧れの会社に就職。しかし、そこから一転、暗黒時代へ

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ーでは、当時はどんな仕事に就きたかったんですか?

鈴木さん:なんとなく自分はメディアの仕事がいいかな?くらいの気持ちで、放送、出版、広告代理店を受けました。で、最終的にテレビ局と平凡出版、いまのマガジンハウスね、その2社から内定をいただいて。テレビ局のほうが先に内定を出してくれたんだけど、マガジンハウスに受かったから断りに行ったの。迷いはなかったかな。そのくらい当時のマガジンハウスは魅力的でした。

「ポパイ」という雑誌が大成功していてね。僕はすごくポパイの編集部に入りたいと思っていました。あと、なんとなくテレビ局という組織は自分には大きすぎるかなと思ったかな。東京生まれ東京育ちだったし、地方局に飛ばされるのも嫌だなと思ったし、何より、平凡出版の木滑良久さんや石川次郎さんといった経営陣がめちゃくちゃ格好良かった。

そういう大人たちに会って、話ができると思うだけで、ワクワクしていました。ちなみに、最初は宣伝部の配属になって、僕が「ポパイが好きだ」といったら、ポパイの中吊り広告やポスター、新聞広告を作らせてもらってね。宣伝部のデザイナーさんと一緒に「写真はこれを使いましょう」と盛り上がったり、編集部の人たちにもよく誘ってもらって飲みに行ったりね。

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ーえっ、鈴木さんの20代、めちゃくちゃ楽しそうじゃないですか?

鈴木さん:いや、ここから暗黒時代に突入していくの(笑)。宣伝部の仕事や編集部の人たちの付き合いはとても楽しかったのに、入社して半年後にさっそくの異動。宣伝部の業務縮小が行われ、僕はそのタイミングで広告部に。掲載誌の数を数えたり、毎日、地味な仕事ばっかり。

「ああ、つまんないな」と思っていたら、また5ヶ月ぐらいで異動。「今度こそ、ポパイ?」と期待したら、業務部門から編集部門への願ってた異動ではあったけれど、平凡パンチという男性向け雑誌の編集部。同期の中に平凡パンチの編集部に行きたい人もいたのに、僕が行くことになって。僕は女性の裸を売りにするような雑誌って、正直、嫌だったんだよね。自分で買ったことも一度もなかったし。「こういうことがやりたくて来たんじゃない」と本気で落ち込んだね。

ー確かに、人によってはすごく楽しそうな職場ですけど……。

鈴木さん:そうそう。素直に楽しめればいいんだけど、若い頃って斜に構えてる部分もあってね。撮影現場でモデルの女性を上手に盛り上げている百戦錬磨のおじさんたちや1年のほとんどをグアムやサイパンで、現地人みたいになっているおじさんを見ながら、馴染めなかったね。

編集長からカラーグラビアの企画が求められても、僕の出す企画はちっとも人気が出ないわけ。雑誌の売り上げに貢献できないんだよね。本当に向いていなかったんだと思うな。

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ーでも、きっとこの記事を読んでいる学生たちの中にも、数年後に同じような経験をする人がいると思うんですよね。いま、振り返ってみて、そういう希望していない部署への異動も、上司や会社からすると成長させる狙いがあったとか、あるんですかね?

鈴木さん:全然ないと思いますよ(笑)。若いからいろいろ経験させようという思いも少しはあるだろうけど、若いからどこでもやっていけるだろうって考え方がほとんどじゃない。会社からすれば、もっと重要な中堅以上の社員の異動に伴う、穴を埋める役割がほとんどだと思うよ。

20代を振り返って面白くなかったと思うのは、会社の組織変更や大人の都合で振り回されたことも大きいかな。結局、平凡パンチも1年しかいなくて、その後は念願のポパイの編集部に異動できるんだけど、20代のときの1年間ってやっぱり長いよね。それに、念願のポパイ編集部も、また編集長の異動に伴って、そう長くは続かないの(笑)。

ポパイ編集部の人たちの中には、「あいつ、ポパイに来て生き生き仕事をしているし、面白い記事を作っているから異動させないでくれ」って経営陣に直訴してくれた先輩もいたけど、会社からしたら、20代の社員はまだ未知数すぎて調整弁の域を出ないよね。それで、今度は女性誌「an・an」の編集部へ。26歳くらいかな。

27歳〜29歳 未だ希望の仕事に就けず。それでも得るものはあった

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鈴木さん:平凡パンチと同様に女性誌もほとんど読んだことがなかったし、まったくの別世界。女性服のブランドも知らないし、メイクのこともわからないから、結局、女性ライターに仕事を丸投げしたりしてね。「これでいいのか?」「何がやりがいなんだ」って悩んだよね。

「もっと自分の力が発揮できる場所に置いてくれればいいのに……」と少し拗ねたりね。で、an・anの編集部に約3年ほどいて、20代は終わっちゃうわけ(笑)。ね、つまんないでしょ?

ーやりたいことはまったくできなかったんですね。でも、そうした仕事の中から得たものはまるでなかったんですか?

鈴木さん:いや、それはあったよ。最初は、本当につまらなかったし、お姉さん編集者たちにも「何もわかってない」と叱られまくったけど、自分より若い編集者が入ってきたり、外部のライターさんやカメラマンでも同世代の人たちと仕事をするようになってきて、少しずつ楽しくなってきてね。ファッションやメイクの知識も徐々に増え、出し方、見せ方の技術もわかってき始めると、編集長との会議のときにも発言が増えてくる。そう思うと編集者としての下地は、やっぱり20代の頃に出来たんだと思いますね。

ーそういうお話が聞けて、よかったです(笑)。やりたくない仕事から得るものは何もなかったとなると、救いがないなあと思ったので。

鈴木さん:そこを否定しちゃうと、自分を否定しちゃうことになるからね。会社のコマのように扱われた20代を認めてはいないけど、腐って、サボったりしちゃいけないんだよね。腐ってサボると、そのツケは必ず自分に回ってくるからね。

それに、会社からしたら、やはり20代の社員は都合の良い存在なんだよ。僕自身も、後に若い人たちをそうやって見ていたしね。でも、上が自分のことをどう扱おうと、自分自身で何かしら考え、真面目にやっておかないと、30代、40代になって何の中身もない大人になってしまうと思うね。

20代にとっては、会社が学校なんだよ。しかも、大学までとは違って、授業料をもらいながら学ばせてくれる場所。学校だと思ってやれば、大概のことは我慢できるし、そこから学ぼうと思えるよね。

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ーすごく説得力のある話ですね。ちなみに、20代の暗黒時代も写真や美術館巡りは続けていたんですか?

鈴木さん:続けていましたね。休日に観て回ったり、海外に行けば必ず美術館に行っていました。おかげでan・anの次に異動したエル・ジャポンの編集部では、「あいつはアートに詳しいから」といってくれる人がいて、アートのページの担当が回ってきました。うれしかったですね。ちょうど30歳の頃。

だから、暗黒の20代が過ぎて、ようやく陽が当たってきたというか。コツコツと自分で美術館に行ったり、写真の勉強を続けていたことが活きてきたよね。

その後は、現代美術家の大竹伸朗さんを直接取材できたり、当時は写真作品だけを発表していた杉本博司さんと知り合いになれたり。後に現代アートのギャラリーで成功を収める小山登美夫さんと出会ったり。仕事だけじゃなく、人のつながりもどんどん広がっていきましたね。と、こんな20代で本当に大丈夫?

ーもちろんです。当初は「元ブルータス副編集長」という肩書きや、現在のアート関連のお仕事内容から、華やかな20代を想像していたんです。でも、むしろ、その後にそういう活躍をされている方が暗黒時代と自称する20代を送っていたことは、これから社会に出る学生にとって一つの大きなエールになると思います。

鈴木さん:だと、うれしいんだけど(笑)。

ー最後に、大学生に向かってメッセージをお願いできますか?

鈴木さん:20代だけの話じゃないけど、たとえば、サラリーマン生活って本当に短いと思うわけ。それこそ、駆け出しの20代の頃は自分のやりたい仕事なんてできないし、周りもほとんど認めてくれません。さらに、定年間際になると消化試合みたいになっちゃうから。

そう思うと30年もない。その中で毎日、「上司の意向でダメなんです」「会社の方針でやれません」「前例がないから…」とかいっていると、何一つ「自分の仕事」といえるものを残せなくなる。上の意向だったら、どうすればその上の人を説得できるのか。前例がないなら、どうすればリスクを軽減できるのか。そういうことを考え続け、仕事をしてほしいな。だって、仕事が楽しくないと、人生は楽しくないと思うんだよね。

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ーたしかに。せっかくの修行期間の20代もその後の仕事の姿勢一つで、意味あるものになるかどうか、大きく変わってきますよね。今回は、貴重な暗黒時代のお話を本当にありがとうございました。

鈴木さんは9月にスマイルズの代表である遠山さんと一緒にイベントにも登壇します。ここでは書けなかった20代のもっとリアルな暗黒時代のこと、その後の面白い仕事のことなど、たくさん話していただく予定です。ぜひ、聴きに行ってみてください。

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