“何かに憧れる”という気持ちは、人が成長し続ける上で欠かせない感情だそうです。
みなさんも、憧れの存在という人物が一人はいるのではないでしょうか。
では、周りから見るとすでに完成しているような、一目置かれるスゴイ大人たちは、一体どんな人に憧れているのでしょう?
そんな、憧れの人が憧れる人の話、聞いてきました。

自分ひとりで噺家になれたわけじゃありません。 ―落語家 柳亭小痴楽さん

柳亭小痴楽さんは、若手を代表する人気落語家です(取材時、二つ目※①)。2013年に落語芸術協会に所属する落語家・講談師の同期11人で噺家ユニット「成金(なりきん)」を結成し、毎週金曜日に西新宿ミュージックテイトにて落語会を開催しています。

翌年2014年に発足した、初心者が楽しめる落語会「渋谷らくご(通称シブラク)」にも参加し、昨年は1年間で450席以上の高座にのぼるなど、精力的に活動を続けています。ただ、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったといいます。

それでも現在の地位を築き上げることができたのは、小痴楽さんが躓いた時、自分を見失いかけた時、落語界の師匠たちが足下を照らし、導いてくれたからだそうです。

※①・・・四階級ある落語界の中の上から2階級目のこと

噺家としてのマイナス要素が高座にのぼるモチベーションに。

柳亭小痴楽さん

ー小痴楽さんは、お父様も落語家と伺いました。お父様の背中を見ながら自然と目指すようになったのですか?

小痴楽さん:僕ね、師匠が二人いるんですよ。だから、亭号(※②)も変わった。最初は、二代目桂平治(現、十一代目桂文治)師匠預かりで前座見習いに入り、「桂ち太郞」という名前をいただいて、初めて高座にのぼりました。

ー柳亭なのでてっきりお父様の五代目柳亭痴楽師匠に入門したと思っていました。

小痴楽さん:もちろん、最初は親父に相談しました。僕が16の時に、噺家になりたいって。ところが、その後すぐに脳卒中で床にふせてしまって。それで親父が、平治師匠に「うちのをよろしく」と頼んでくれた。

だから、“噺家とは”“寄席とは”というものを一から教えてくれたのは、文治師匠なんです。ところが入門先で、寝坊癖だの何なのと、いろいろとしくじりまして。破門寸前まで行きました。

でも、破門だと二度と高座に上がれなくなるからと、平治師匠が心を砕いてくれて、「お父さんから預かったんだから、預かったものを返す」という形で師匠を親父に引き継いでくれたんです。

ー首の皮一枚つながったというわけですね?

小痴楽さん:そう。つなげてくださった。それから親父の門下で、「柳亭ち太郞」を名乗り、修行を続けさせていただきました。でも、その一年半後に親父が亡くなり、迷子のような僕を引き取ってくれたのが、親父の弟弟子にあたる柳亭楽輔師匠。楽輔師匠のもとで前座修行を続け、二つ目に昇進したのが21の時。その時から三代目柳亭小痴楽を名乗るようになりました。

だから、僕がいま人前に顔を出すことができるのは、僕に情けをかけてくれた二人の師匠のおかげ。もちろん門を移り、亭号を変えた事実は、噺家としてすごいマイナス。一生、十字架を負うことになりましたが、逆にいまはそれが高座にのぼるモチベーションにつながっていたりします。一日も早く真打ちとなって、師匠二人に恩返しがしたいですね。

※②・・・落語家の芸名のうち、苗字にあたる部分のこと

柳亭小痴楽さん

笑わせるのが落とすじゃない。話を飲み込ませるのが落とすってこと。

ーそんな小痴楽さんが、憧れの人として挙げるのは、どなたの背中ですか?

小痴楽さん:こと落語に関して言えば、三遊亭小遊三師匠ですね。うちの親父と同期で、もともと小さい頃から顔見知りで、言っちゃえば自分の叔父さんみたいな感じでした。でも、僕がこの世界に入って、師匠と前座・二つ目という関係となり、改めてひとりの噺家としてすごい人だなと思うようになりました。とにかく懐が深いんですよね。

三遊亭小遊三師匠との一枚

ーどんなエピソードが?

小痴楽さん:一度ね、師匠の高座の袖で、ガチャガチャンて大きな音を出してしまってお客さんの視線をパッと袖のほうに目を向けてしまうことがあったんです。

ところが、師匠は騒音などまるで意に介さず噺を続けるんです。すると、よそ見をしていたお客さんが、慌てて師匠に視線を戻す。全員が戻りきったところで、師匠は僕が立ててしまった騒音をすぐネタにして。

「おい定吉、さっき階段から落っこちたぞ、お前……」って噺の登場人物を使って、台詞を切り替えて、お客様をワーッと笑わせたことがあったんです。高座が終わって、僕が「すみません!」って謝りに行ったら、「あぁ、いいんだよ。お前ごときの雑音じゃ、俺の落語は止めらんねえな」って冗談みたいに笑ってて。何が起こっても動じないし、ヘラヘラと楽しそうにしていられるこの人って、「スゲーッ!」って思いましたね。

ーぜんぶお笑いに持って行くところは、さすがですね

小痴楽さん:あとね、こんなこともありました。小遊三師匠を囲んで4、5人で飲みにいったときのことです。僕がある後輩のことでダラダラと愚痴っていたら、10分ほど黙って聞いていた師匠が、僕の愚痴が終わると同時に「そもそも、その後輩の何とかって奴は誰だ。俺らはそいつを知らねえんだよ。知らない人に知らない人の話をする時は、まず、その人はどういう人でって話を振ってから本題に入るのが筋だろう」ってお説教が始まりました。

「笑わせるのが落とすじゃなくて、ちゃんと振りがあって話を飲み込ませるのが落とすだろう。お前、何年落語やってんだ。飲み屋の会話も全部そうだよ。きょう一日しゃべるなバーカ、イライラする」って言われたんです。

そのあとすぐ師匠が別の話題から話しはじめて、実に自然に「いや、この間、地元に帰ったらさ、俺の同級生に何とかってやつがいて、そいつこんなんでさ……」って話しながら、その場にいる俺たちを10秒に1回ゲラゲラ笑わせちゃうんですよ。それで話を飲み込ませて、見事に落として「これでちょうど10分だ。今のやるんだよ」ってこっちを見るわけです。いきなり、その、それがもう痺れるというか、心の中で(はあぁ、なんだこの人っ!敵わねえな)って思っちゃって。すごいでしょう?

柳亭小痴楽さん

ーカッコ良すぎますね、たしかに

小痴楽さん:そんな小遊三師匠が謙遜ありきで「俺ぐらいだったら誰でもなれる」って言うわけです。「なれるわけないじゃないですか」って返したら、「運さえあればなれる。さらに上をいくとなると稽古だな」って。

ー「運も実力のうち」ということですか?

小痴楽さん:でもね、うちの親父たちの代で、誰よりも稽古をしていたのが小遊三師匠ってみんないいますから。僕たち凡人が小遊三師匠の上をいくには、天才以上に稽古しないといけないわけです。遊びたい盛りの僕らは大変ですよ。

柳亭小痴楽さん

歌丸師匠や小遊三師匠のようになりたいなんて言えませんよ。

桂歌丸師匠との一枚

小痴楽さん:噺家としてたくさんのことを教わった恩師ということでいえば、桂歌丸師匠の名前を挙げないわけにはいきません。残念ながら鬼籍に入ってしまわれたんですが……最後まで、本当に最期まで面倒を見ていただきました。

ー小痴楽さんにとって歌丸師匠はどんな存在だったのですか?

小痴楽さん:最初僕は「ち太郎」の名で前座からスタートしたので「チー坊、チー坊」って呼んで可愛がってもらいました。その上、師匠はいつも丁寧な言葉で接してくれる。何か頼む時も「○○しといて」って投げるような言い方はしません。必ず「ちー坊、○○してくれますか」って言う。

自分が発する一字一句を大事にしていて、本当に言葉を操る人なんだなって。こういう時はこういう言葉を使うんだよって、いちいち言わずに、日常の中で教えてくれたんです。

ー歌丸師匠はすごく気配りの行き届いた方だったんですね

小痴楽さん:あとね、歌丸師匠はどんなに急ぎの用事があっても、高座が終わったら必ず舞台へ行き、舞台とスタッフに「お先にね」って挨拶をして帰っていくんです。車椅子での移動になっても、それは変わりませんでした。どんな時もすべての人に対して礼儀を欠かさない。僕が一番真似をしたいのは、師匠のそういうところです。

ー小痴楽さんは “落語家のお手本”ともいうべき人のカバン持ちをしていたのですね

小痴楽さん:歌丸師匠の教えで印象的だったのは、師匠から全国巡業に誘われた時のこと。ちょうど僕が前座修行を終え、二つ目に上がろうか、っていう時のことでした。師匠が「チー坊、俺の仕事についてまわる気あるか?」って聞くんで、僕は二つ返事で答えるわけです、「はい!」って答えたんですけど、すると師匠は「あぁ、ダメだ、お前いま頭の中、金だな。そうじゃないんだよ」と。

「200人、300人のお客さんの前でやる機会は誰でも得られるんだ。けど、1,000人、2,000人のお客さんの前で高座にのぼる機会は、俺の側や、そういう格の人の側にいないと得られないだろ。その経験値がほしいかどうかを聞いてんだ」と。

その経験値を手に入れるチャンスを、前座と二つ目の間の人間に与えてくれたんです。間髪入れず「ほしいです!」って言ったら、「お前……まだ金だな。まあいいや、とりあえずついて来なさい」って言ってくれて。

ー誰にでも得られるものではないですよね、その経験値は

小痴楽さん:1,000人、2,000人のお客さんを惹きつけ、ひとつにするって、言い方は悪いですけど、お客さんを操ることの難しさがすごい。緊張と緩和を繰り返しながらお客さんを操る歌丸師匠の落語を、高座の袖で聞きながら学んだつもりですが、果たして今自分ができているのかどうか。

柳亭小痴楽さん

ーでもその経験値を生かそうとしている小痴楽さんの姿を見れば、歌丸師匠も喜ぶのでは?

小痴楽さん:僕、この話はいつも高座で話すんですけど、横浜・関内ホールの寄席に歌丸師匠のお供していて、師匠が杖を使って自分の足で元気に歩いていた頃の話です。関内ホールは、3階が楽屋で、2階が舞台、1階が出口。出番前の師匠を、楽屋から舞台まで送り出す時に、二人でエレベーターに乗り込み、僕が誤って1階のボタンを押しちゃったんですよ。

ところが、歌丸師匠は僕の間違いに気付いているのに、「2階だよ」って言わない。もちろん僕はまだ気付いていない。で、1階に着いて「師匠どうぞ」って言ったら、トントントンと歩いてエレベーターの外に出て一言、「帰れって言うのかい?」って。身体を張ったノリツッコミで、僕のミスをボケにしてくれたりしちゃうんですよ。ふつう出来ます?

ー身体を張って、笑いに持って行く。しかも落語界の重鎮が……

小痴楽さん:もう存在そのものが落語家なんですよ。だから歌丸師匠や小遊三師匠のようになりたいなんて言えません。なれるわけがありませんから。むしろ、お二人のすごいところをひとつでも多く真似て、すこしでも近づくことが出来たらいいくらいです。いくつも見てきたおふたりのネタを飲み込んで、消化して、小痴楽の引き出しからアウトプットして。前座見習いのしくじりから何から、すべて笑いにかえていけるようになれたら、うれしいですね。

柳亭小痴楽さん

取材後記

今回の取材では、落語の世界で生きていくと決めた小痴楽さんの落語家としての覚悟と、師匠への揺るぎない尊敬を感じることが出来ました。
ところで、落語って、ちょっと“堅い”イメージがありませんか?

取材後シブラクにて小痴楽さんの落語を鑑賞しましたが、劇場は老若男女で満席。古典落語といわれる、江戸時代に作られたお話で現代のお客さんをもどんどん爆笑の渦に巻き込んでいく様子には驚きました。

伝統芸能のひとつとして、大昔から受け継がれているには理由があるんです。「よく分からなそう」なんて言わないで、是非一度、劇場まで足を運んでみてはいかがでしょうか。

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