みなさんは、自分の将来を考えるとどんな気持ちになりますか?キラキラしている人の姿を見ては、何だか自分だけ置いていかれているような気持ちになるなんてことも・・・。
「29歳までの道しるべ」では、現在いろいろな舞台で活躍する大人たちを取材し、彼らの20代のお話を聞きました。
いまだからこそ言える“少しでも人生を前に進めていくためのヒント”です。

壁は、ぶつかることに意味がある。 ーバタフライボード株式会社 福島英彦さん

福島英彦さんは、いくつかの日系企業や外資系企業でエンジニアやマーケッター、ブランドマネージャーとして活躍。その後、会社にいながら持ち歩けるノート型ホワイトボード「バタフライボード」のアイデアを着想し、自ら日米のクラウドファンディングを活用して開発・発売までこぎつけた方です。そのバタフライボードはAmazonランキング大賞2017上半期で堂々の2位となった人気商品。

そんな福島さんは20代にどんな仕事観を身につけたのでしょうか。質問を通して見えてきたのは、“壁”の重要性でした。

~20歳 大切なことの多くは、寮生活で学んだ。

—そもそも、福島さんがものづくりに興味を持ったきっかけは何だったんですか?

福島さん:父親が大工で小さい頃からよく現場にも遊びに行っていたので、父親の背中を見ながら自然と自分の中に「ものをつくりたいな」という気持ちが育っていきました。ただ、中学2年生までまったく勉強をしなかったんですよ。遊んでばかり。

それが、中学2年生の夏過ぎくらいにモノづくりを専門に学べる高専という目標が見つかり、生活が一転しました(笑)。そこから一年半はまったく遊ばず、一生懸命に勉強し、何とか高専に入ることができました。

福島さん

—高専ではどのような毎日を過ごしていたのですか?

福島さん:高専って全寮制なんです。中学を出て親元を離れ、寮に入って先輩たちと一緒に生活する。畳4枚の4人部屋に先輩2人と同級生2人。この寮生活自体が社会の縮図のような場所でしたし、その後の人生に役立つ知恵もたくさん身につけることができました。

たとえば、寮生活は人との関わりが重要で、日頃からわからないことがあれば誰かに聞くといったことを体で覚えていくわけです。とくに、中間・期末テストはある程度の点数を取れないとすぐ留年が決まってしまう厳しいテストでした。

だから、絶対に点を取らなければいけない。その時に、どの先輩にどの問題を聞いたら教えてもらえるか。一番効率よく試験勉強ができるかといった戦略が必要になっていくわけです。

こうした考え方は、社会に出て、ものづくりの仕事に携わるようになった時も本当に役立ちましたね。結局、ものづくりって一人ではできませんから。

福島さん

—なるほど。高専では知識や技術以外のことも教わったんですね。卒業後はどんな進路を辿ったのですか?

福島さん:実家が三重県の鈴鹿という田舎だったこともあり、就職では「とにかく東京に出たい」という気持ちが強かったですね。

それから、昔からブリティッシュロックなどの音楽が好きだったこともあり、音をつくる仕事に興味を持っていました。そして、ご縁あって日本の音響メーカーに入社することになったんです。

20歳〜25歳 毎日が吸収、毎日が試行錯誤。でも、本当に楽しかった。

—いよいよ社会人です。憧れのものづくりの現場はどうでしたか?

福島さん:入社した音響メーカーでは、音の最終出口であるスピーカーを担当することになりました。一番音に近い仕事、感性に訴えられる仕事がしたいという想いを持っていたので、まさに希望通りのものづくりの現場でした。

その中で、とにかく与えられたことに対して一生懸命というか、先輩たちの仕事に付いていくのが精一杯でしたね。スピーカーを自分で組み立てては、その場ですぐ音を聴いて良し悪しを判断する。その繰り返しなんです。

最初はめちゃくちゃなことをやっていて、「なんだ、この音は?」という毎日なんですが、少しずつ「こういうことか」「ここをこうすればこうなるのか」と自分の試行錯誤がすべて音となって返って来る日々は楽しかったですね。

とくに、その音響メーカーでは先輩たちが先に理論を教えてくれることは決してありませんでした。絶対にまず1回は自分でつくらせるんです。要は手を動かした経験がなければ、理論は頭に入ってこないというわけです。

福島さん

—こうしたものづくりのプロセスは、その後のスピーカーの開発やバタフライボートの開発でも役立っていくのですか?

福島さん:はい。そもそも、僕にとってものづくりとは実際に形にし、検証を繰り返すことなんで。成功だろうと失敗だろうと形にすることで、パソコンの画面では感じられない様々なことを五感で感じることができますし、僕は常に頭の中の自分の試行錯誤をホワイトボードに書き消ししながら、ある程度のところでそれを1回形に落としてみるということを繰り返し、ものをつくってきました。

—20代の頃の話の中に早速、ホワイトボードも登場してきましたね?

福島さん:自分の頭の中だけでは、それほど上手に整理できないですからね。さらに、何人かでものづくりをしている場合、みんながまったく異なるレイヤーで会話をしてしまって、話がかみ合わないことがよくあります。

それらを一度、ホワイトボードに書き出してみると、これまで気づかなかったものがいろいろと見えてくるようになるんです。

福島さん

—もしかして、この頃、もうバタフライボードのアイデアがあったとか?

福島さん:いや、まだないです(笑)。この頃は音づくりに関することだけで吸収することが山ほどあったので。それこそ、終わりがないんじゃないかと思うくらい。だから、そういう意味では日々の仕事が本当に勉強になったし、音をつくることが毎日とても楽しかったですね。

福島さん

25歳〜29歳 様々な壁とぶつかる中で、自分の仕事を見出していく。

—その後はエンジニアとしてどのようなキャリアを歩まれたのですか?

福島さん:25歳で1回目の転職をしました。日本の音響メーカーからアメリカの音響メーカーへ。純粋にアメリカの音のつくり方を学んでみたいという興味もありましたし、日本の音のつくり方を5年間学んだことで、世界で日本の音づくりがどのくらい通用するんだろうということを試してみたい気持ちも出てきました。

福島さん

福島さんが実際に開発に携わっていたスピーカー

ちなみに、日本の音づくりというのは、「この人は、こういう音をつくるよね」といった具合に、それぞれの音が開発しているエンジニアについて回るものなんです。そして、繊細で緻密。

一方、アメリカは違います。メーカーとしての音づくりを徹底させることで、エンジニアの音ではなく、それぞれのブランドの音になる。つまり、誰がつくってもその音になるような理論があるんですよね。

そもそも、音づくりとは空気を振動させ耳に届けるまでのプロセスをすべて管理するということだから、それらを全部、理論化するのは相当に難しいものなんです。だから、その部分はアメリカの音響メーカーに入社してすごく感動したし、学びましたね。

—25歳で転職することに対し、不安はなかったんですか?

福島さん:めちゃくちゃありましたよ。だって、まず英語がしゃべれませんでしたから(笑)。
どんなに良いものをつくったとしても、それをアメリカ本社にプレゼンテーションできなければ商品化に繋がらないので、最初は英語によるコミュニケーションは相当に苦労しましたし、勉強もしましたね。

ただ、当然いろいろ助けてくれる人たちはいっぱいいるし、英語の壁はなんとか乗り越えることができました。それよりも、転職した後に出てきた別の大きな壁のほうが印象に残っていますね。

先ほども言いましたが、アメリカの音づくりはすべて理論として成立しているんですが、それらを考える人たちの才能に驚かされましたね。

MIT出身の同年代のエンジニアがゴロゴロいて、その人たちの理論や数式を見ると「何だ、これ!?」といったものがたくさん並んでいる。ショックでしたし、自分はここではトップになれないなとわかってしまったんです。

福島さん

—エンジニアの方々ってきっと、「自分はできる」「自分がつくる」という思いが強いと思うのですが、その分野で自分より数段レベルの高い同僚に囲まれるとどんな気持ちになるんですか?

福島さん:それは、悔しいですよね。ただ、彼らはスピーカーの中でもそれぞれの分野のスペシャリストだったので、一人ひとりの専門分野では勝てないけれど、「この人とこの人の技術をこう繋げばもっと良くなるかも」といった総合力での勝負なら……と頭を切り替えるようになりました。

さらに、この人たちの理論、技術を、日本に伝えることが自分の役割だと思うようになりましたね。日本とアメリカを繋ぎ、「こういう形だったら、実現できるよ」とアメリカでの研究成果を日本で発売する商品に落とし込む仕事に力を入れるようになりました。要は、仕事って、どういう形で自分の価値を見出すかということなんじゃないかと思います。

—その仕事の捉え方は、この記事を読んでいる大学生にとって、とても参考になると思います。20代のエンジニアにとって、転職というのはプラス面とマイナス面のどちらが大きいと思いますか?

福島さん:今は、転職回数が不利になるような時代じゃないから、チャレンジできるんだったらチャレンジしてみるのが良いと思います。もし転職先で壁にぶつかったとしても、「どういう壁があったんだ」ということを見極めるだけでも価値がある。

最近、自分も人を採用する側になってきて、自分自身の壁を知っていたり、その壁に何度もぶつかりながらも挑戦している人のほうが魅力的に感じています。

—ちなみに、20代の頃はいつか独立しようという気持ちは持っていたのですか?

福島さん:まったく考えてなかったですよ。自分が起業なんてことは、全然考えられなかった。そんなの夢のまた夢という感覚でした。僕にとって20代は、とにかくがむしゃらでした。

自分が何かをアウトプットするというよりも、すべてが吸収だったのかなと思います。当たり前ですが、年齢を重ねてくるとアウトプットが重要になってきます。しかし、20代の頃は常に吸収、インプットでも良いのかもしれません。

—最近の学生の話を聞いていると、インプットするにも情報が多すぎて選択できないという悩みもあるようなのですが……。

福島さん:当然、ノイズになるような情報はいっぱいあるので、その中で自分にとってプラスになる情報は何なのかという選択は必要です。ただ、見つけるっていうのは、自分自身が仕事でも勉強でも一生懸命にやって、壁にぶつかってみないと、その情報の精査はできないと思うんです。

どれだけ壁にいっぱいぶつかって乗り越えるということをやってきたかによって、自分にとって必要な情報の精度は自ずと上がってくる。「これとこれは必要。これとこれを組み合わせれば、この壁を越えられるんじゃないの?」といった具合に。

壁が見えないと、その情報が必要かどうかもわからない。さらに、壁にぶつかる経験が、情報という点と点を結びつけ、自分自身を成長させてくれる力に育っていくと思うんです。

そして、そういう情報や経験を自分の中に数多くストックさせておくことで、新しい課題と向き合う時に「自分の経験の中で、これとこれだよね。これを組み合わせばこうなるよね」となっていくんだと思います。

だからこそ、壁は逃れようとするんじゃなくて、ぶつかって、乗り越えられなかったとしても「何がダメだったのか」を自分で知っておくことが重要なんだと思います。

ただ、壁にぶつかる、壁を越えるというのは相当に苦しいから、そういう意味では壁の向こうに自分の目標となるものを見つけられると良いですよね。その先に何があるかを想像できたら、その壁をどんどん崩していくことができるから。

福島さん

小さな意思疎通の積み重ねが、信頼関係に変わっていく。

—ありがとうございます。最後に、20代のお話ではないのですが、「バタフライボード」を開発しようと思ったきっかけと、大学生へのエールをいただけたらと思います。

福島さん:そもそもホワイトボードって、コミュニケーションのツールなんじゃないかなと思うんです。仕事でも、夫婦間でも会話だけだとすれ違うことがよくありますよね。お互いに考えていることがズレている。でも、自分は正しいと思っているし、伝わっていると思っている。それを一度、ホワイトボード上に可視化してあげると、人に対する意見ではなく、事に対する意見に代わりコミュニケーションがスムーズになるんですね。

最初の五感の話ではないですけど、その空気感も含めてお互いのコミュニケーションをリアルでやっていくという部分は、まだデジタルではできていないところだと思います。そういう意味でもコミュニケーションを円滑にしていくツールなのかなと思います。やっぱり人間ですからね。

仕事でもプライベートでも人間同士の付き合いが最も重要。お互い意見の意思疎通を積み重ねていくことで、お互いに本音で話せる信頼関係が築かれると思っています。

最近では、人工知能、AIと言われていて、どんどん人間と関係ないところの仕事は自動化されていくと言われていますが、やっぱり、ものやビジネスを生み出す部分は、まだまだ人間が中心になってやっていかなければいけないと思います。

そういう意味では、エンジニア志望の学生であっても、人間同士の繋がりや、人間の五感で感じるところをもっとブラッシュアップしていく、磨いていくことを20代から考えていくといいんじゃないかなと思いますね。

福島さん

編集後記

新作のバタフライボードを片手に取材場所にひょいと現れた福島さん。取材前は、開発者という肩書きから小難しい話が多いのかと思っていましたが、実際にお話しいただいた内容はとてもわかりやすく、しかも、楽しそうに話している姿が印象的でした。

福島さんにとって、壁にぶつかったり、乗り越えたり、乗り越えられなかったりという出来事は、それ自体をすべて前進と捉えているからなのでしょうか。常に可視化しているからなのでしょうか。とても参考になるお話でした。

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