みなさんは、自分の将来を考えるとどんな気持ちになりますか?キラキラしている人の姿を見ては、何だか自分だけ置いていかれているような気持ちになるなんてことも・・・。
「29歳までの道しるべ」では、現在いろいろな舞台で活躍する大人たちを取材し、彼らの20代のお話を聞きました。
いまだからこそ言える“少しでも人生を前に進めていくためのヒント”です。

計画ではなく、ベクトルを持つ。 ーシブヤ大学 代表理事 左京泰明さん



左京泰明さんは、シブヤ大学という地域に根ざしたユニークな生涯学習の場を提供するNPO法人の代表理事を務める方。
さらに、現在は長野県塩尻市のアドバイザーとしても活躍されるなど、地方行政やNPO法人のマネジメントに関する専門家でもあります。早稲田大学の4年生の時にはラグビー部でキャプテンの大役を果たし、その後、1年間の充電期間を経て総合商社に入社。経理の仕事を2年半勤めた後、シブヤ大学の立ち上げに携わりました。

経歴だけを眺めると順風満帆に見える左京さんですが、インタビューで見えてきたのは、“模索”。迷いながらも前進する左京さんの20代は、どんな道だったのでしょうか。

~24歳 進むべき道がわからなかった。でも、人のためになる仕事がしたかった。

―大学時代は早稲田大学ラグビー部に所属し、4年生の時にはキャプテンも務めたとお聞きしました。そんな左京さんはどんな就職活動をしたのですか?

左京さん:大学の4年間は本当にラグビーに打ち込みました。とくに、僕は4年生に上がるまでレギュラーにもなったことのない人間だったので、キャプテンを務めることになった4年目ではラグビー一本に集中。

その後の就職活動は一生懸命に情熱を注いだラグビー以上にやりたいものをしっかり見つけたいと思い、とりあえずもう1年間大学へ在学し、大学5年目は念願のスターバックスでのアルバイトも実現させて、楽しかったですよ(笑)。就職活動で言うと、いろいろな業界のOBの方々に話を聞いて回ることからはじめました。

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―OBの方々の話を聞いてみて情熱を持てるものは見つかりましたか?

左京さん:保険、エネルギー、商社、メーカーなど、様々な分野のOBの方に時間をいただき、一人ずつ話を聞かせてもらいました。でも、途中で埒があかないなと思ったんです。どのOBの方の話を聞いても一長一短あるというか。
結局、自分自身が「仕事に何を求めるか」とその優先順位がはっきりしていないと決められないな、と。

僕の場合、中学生の頃にバブル崩壊という出来事が起こった影響もあったんでしょうね。会社にずっとしがみついている人生はリスクでしかないと思っていました。そこで、まずは会社がたとえ潰れたとしても、ちゃんと食べていけるスキルを身につけたいと考えました。

それから、もともと旅に興味があったので、若いうちに海外に出させてくれる会社にしようと思ってて。スキルと海外。そうやって考えた結果、商社という進路に絞られていったんです。

―なるほど。ちなみに、伝統ある早稲田大学ラグビー部でキャプテンを務めたことは進路選択に影響を与えなかったんですか?

左京さん:やっぱりありますよ。まず、早稲田大学ラグビー部の使命は社会的リーダーの養成だと言われていて。大学4年生でキャプテンになるとレギュラーになりたいと思っていた昨日までの自分と、キャプテンになった今日の自分はさほど変わらないのに、キャプテンになった瞬間に全国から応援の手紙が届いたり、試合に行けば小さな子供たちがサインを求めて来てくれた。

自分の資質や道のりを考えると、キャプテンをやらせてもらっているということが、分不相応だと当時は本気で思っていましたし、こんなに恵まれた環境で成長させてもらったからには、大学卒業後は社会に恩返しをしないとバチが当たると。

そう思うと自然に、就職活動の優先順位はスキルや海外の前に「人のためになる仕事がしたい」という大前提がありましたね。

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―「人のためになる仕事」という志のもとに「スキルを身につける」や「海外に行く」という働く目的があったんですね。

左京さん:まさに、“志”です。大学3年生の頃、当時のラグビー部の監督が「すごく面白い人間がいるから、みんなで話を聞こう」と、ある大先輩の講演会を企画してくれました。

その時に来てくださったのが、外務省で働いていた奥克彦さん。当時はイラクかロンドンに駐在し、イラクの復興支援の先頭に立って活動されていたんですが、たまたま日本に帰国していたタイミングだったんです。

その時の話で特に印象に残ったのが、「俺は現地にいる時は防弾チョッキを着ない。イラクの市民はみんな防弾チョッキを着ていないのに自分だけ着ていたら信頼なんて得られないだろう。だから俺は防弾チョッキなんて着ない。」という話。

当時はスケールが大きすぎて全ては理解出来ませんでしたが、志を持って働いている姿をすごくカッコいいと思いました。
僕にとって、初めて「こんな社会人になりたい」と思った瞬間でしたね。ただ、外交官や国連勤務はそこから目指すには敷居が高すぎたし、まずは自分をより成長させる必要があると思って。スキルを身につけること、海外で働くってことから始めてみようと思いました。

―それで、商社の経理部を志望されたんですね?

左京さん:はい。商社の花形である営業部門にはあまり興味が持てなかったので、人事面接の時も正直に「会社の動きやビジネスについて知りたいです」と話しました。そうしたら、「じゃあ、まずは経理部で数字を見る仕事をすればいい。いつか役に立つから」と言われて。

当時は商社に入って経理を志望する人なんてほとんどいない中で僕は第一志望。しかも、体育会出身。経理部の先輩たちは、「変わった新入社員が入ってきたな」と思ったはずです(笑)。

24歳〜26歳 すべて楽しかった。でも、ずっといるつもりはなかった。

左京さん:最初からずっと同じ会社にいるとは思っていませんでしたが、とりあえず30歳くらいまではここでいろいろなこと勉強しようと思っていました。最初は経理の勉強を一生懸命やりましたよ。部活にたとえるなら、「商社で早くレギュラーになろう」みたいなね。

部活ほどシンプルではないですけど、たとえば同期の中で一番早く資格を取るとか、周りから信頼されてちょっとでも責任のある仕事を任されるとか。情熱を注いだ部活と同じテンションで、とにかくストイックにやっていました。

いま振り返ると本当に変わり者だと思うんですけど、商社マンでありながら飲み会にも行かないし、みんなが車を買うお金で、僕は公認会計士の資格の教材を買っていました(笑)。

とにかく周囲に流されちゃいけないって思っていたんです。ただ、資格を取ることは目標にできても、たとえば、大きな組織でのポジションは明確な目標にしにくかった。

1年目は全部が初めてのことだから全力でやっていくんですが、入社して3年目が近づいてくると、その環境にも慣れてくる。たかだか2年目の社員がそんなことを言ったら怒られそうですけど、それ以上に頑張ることは出来ても、そこまでの頑張りを組織は求めていない感じもありました。

それで、だんだん物足りなくなり「この先、自分はいつまでここにいるのだろう……」とモヤモヤし始めたんです。

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―30歳で辞めようと考えていたものの、思っていたよりも早くモヤモヤが来たわけですね。

左京さん:はい。でも、具体的にやりたいことも見つかっていなかったし、とりあえず、同じような危機感を共有できる大学時代の同級生や後輩と4人くらいで毎週金曜日の朝7時に集まって小さな勉強会をやることにしました。

4人とも仕事の分野が違ったので、お互いがやっていることを共有したり、それぞれ興味のあることを調べて教え合ったり。そしてその時、すごく興味を持ったのがNPOだったんです。

中でも、グリーンベルト運動の創始者で、2004年にアフリカ人で初めてノーベル平和賞を受賞したアフリカ人のワンガリ・マータイさんという女性に興味を持ったんです。

なぜ興味を持ったかというと、彼女の活動の目的は非常に公共性の高いものだけど、手段としてビジネスが組み合わさっていた。自分の中でその目的と手段の組み合わせがしっくりきたんです。もちろん、その時はまだ自分の仕事にしようとまでは思えていませんでしたが、NPOの取り組みというものにどんどん興味が湧いてきました。

―朝の勉強会をきっかけにNPOに興味を持ち始めたんですね。そこからどうやって現在の活動につながっていくんですか?

左京さん:2005年3月に高校・大学時代のラグビー部の先輩が、杉並区の中学生と一緒に「夢の学校をつくろう」というワークショップを一泊二日で企画し、僕はボランティアスタッフとして手伝うことになりました。その時、講師の一人としてチームラボの猪子さんがいらっしゃっていて、彼の話を聞く機会があったんです。

当時の猪子さんは今ほど有名ではありませんでしたが、今と変わらずビジョンと信念を持ち、地道に活動されていました。その姿が潔くて非常にカッコ良かった。

そしてその夜、猪子さんと男同士一緒に風呂に入るタイミングがあったんで、思い切って「NPOに興味があり、その準備のためにまずは会計の勉強をしています」と話しかけてみました。

そしたら、一言、「ノーバリューだ」って言われたんです。「意味がない」と。「君は会計士になりたいわけじゃないでしょ?会計士なんて雇えばいい。やりたいことがあるんだったら、それをやって、必要だったら雇えばいい」って話をされました。バックスクリーン直撃のホームランを打たれた気分ですよね(笑)。

ただ、確かにその通りだと。決断を先延ばしにしていただけだと気づきました。だから「その場で辞めます」と宣言し、会社にも翌日辞表を出しました。

【26歳〜29歳】  NPOを自分でつくってみたい。シブヤ大学の学長になる。 続きは次のページへ

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