みなさんは、自分の将来を考えるとどんな気持ちになりますか?キラキラしている人の姿を見ては、何だか自分だけ置いていかれているような気持ちになるなんてことも・・・。
「29歳までの道しるべ」では、現在いろいろな舞台で活躍する大人たちを取材し、彼らの20代のお話を聞きました。
いまだからこそ言える“少しでも人生を前に進めていくためのヒント”です。

見る前に跳ぶ。ーフォトグラファー ヨシダナギさん



ヨシダナギさんはアフリカをはじめとする世界の少数民族をモチーフにした作品で注目される新進気鋭のフォトグラファー。その独特な色彩と世界観、そして考え方や生き方そのものに若者からの支持が集まるなど、現在はテレビや雑誌などのメディアからひっぱりだこです。

ところが、本格的に写真を始めたのは3年前の29歳の時。それまで写真学校に通ったことはなく、写真撮影スタジオに勤務したり、プロカメラマンのアシスタントを務めた経験もないといいます。もし、フォトグラファーとしての現在の地位を確立するまで大切にしてきたことがあるとすれば、「見る前に跳ぶ」ことでした。

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〜20歳 夢中になれるものが何もなかった。

—今日はヨシダさんの20代の頃のことを中心に伺っていきます。その20代につながる10代の話を最初に少しだけ伺ってもよろしいですか?

ヨシダさん:小学校4年生の時、東京から千葉へ引っ越しました。よくある話ですが、転校をきっかけに私は周囲からいじめに遭うようになります。私は社交的ではないし、協調性がありません。周囲に話の合う子もいませんでしたし、話が合わない子と話す楽しさもわからなくて。それに、私は勉強ができなかった。

中1の時、人よりもできないってことに気付いて、できないことを無理してがんばって伸びるタイプでもないので勉強よりもっと自分に向くことがあるんじゃないかって。
そう思ったら、つらいことばかりの学校に行く必要はない、という結論に至ったわけです。

その頃、父親から買い与えられたパソコンでインターネットの世界を知ります。初めて学校と家庭以外の社会とつながり、掲示板に書き込んだり自分のホームページをつくったりしているうちに、ひょんな事がきっかけでグラビアアイドルをすることになって、芸能事務所に所属し、20歳くらいまで何年か活動しました。

でもやっぱり夢中になれなくて。イラストの仕事を始めるという口実で辞めました。小さい頃から絵を描くのが好きだったんです。でも、今度は趣味を仕事にしてしまうと自由に描けなくなってしまい、案の定すぐにスランプに陥って描けなくなってしまった。こうして振り返ると、私の10代は夢中になれるものは何もなかったですね。

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20歳〜23歳 試行錯誤の連続。絶望を求めて海外へ。

—なかなか進む道が定まらないなか、どういう日々を送ったのですか?

ヨシダさん:はい。まず、スランプ脱出も兼ねて海外旅行に行くことにしたんです。海外に行った子たちから「見える世界が変わった」と聞かされていて、生まれて初めての海外旅行でタイに出かけました。海外に行けば視野が広がり、あるいはカルチャーショックを受けて世界観が変わるのではと期待したのです。

でも、本当はカルチャーショックというより絶望したかったんです、私。「なんてことだ!世の中、間違っているんじゃないか!」とか、「二度と○○になんか行くもんか!」とか感情の起伏がほしかったんですけど、なんでも受け入れてしまう性格だからか、インドですら全然そういうのが生まれなくて。そうなると、もうこれは小さい時に憧れたアフリカに行くしかないと(笑)。

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—アフリカには、どういう憧れを抱いていたのですか?

ヨシダさん:じつは5歳の頃は、「アフリカ人になりたい」って本気で思っていました。テレビで見たマサイ族の姿や衣装から強烈なインパクトを受けたのです。だからセーラームーンや仮面ライダーになりたかった他の子どもと同じように、私はアフリカ人になりたいと思ったわけです。でも、その夢は両親によって絶たれました。10歳の時、「あなたは日本人、どこまでいってもアフリカ人にはなれない」という現実を突きつけられたのです。ショックでしたね。

23歳〜27歳 想像を超える想定外を楽しむ。

—いよいよ憧れのアフリカへ。ちなみにアフリカのどの国を選んだのですか?

ヨシダさん:小さい頃、アフリカ人で黒い人って言ったらケニアのマサイ族しかいないと思い込んでたんですけど、インターネットで検索するようになるとアフリカにはたくさんの国があって、調べていくうちに私は自分と姿形が違えば違う民族ほど格好いいと感じていることに気付きました。

特に裸族は、服をまとっていないのに、ちっともいやらしく見えない。立ち姿がすごい格好いい。なのでアフリカ専門の旅行会社に「旅費が安くて、一回の渡航で数多くの裸族に会える国はどこか?」と問い合わせたところ、それがエチオピアだったので、初めてのアフリカは迷わずエチオピアを選びました。

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—実際に行ってみたアフリカは、やはり想像通りでしたか?

ヨシダさん:アフリカではこちらの想像していないことが起きるので、面白いんです。たとえば、ホテルのエアコンのスイッチを入れたら、砂が吹き出してきてガガガッって音がして、これは爆発するのかなって様子を見ていたら、吹き出し口からでかいイグアナが出てきたりとか(笑)。スタッフも大爆笑。
「This is Africa !!」(TIA)って言って。

「TIA」って略語もあるんですよ。私はこのTIAを受け入れて楽しむ側の人間のようです。

—コミュニケーションはいったいどうやって?

ヨシダさん:私はずっと語学ができないことに劣等感を感じていて、今もどちらかといえば喋れない方です。でも私が普段、海外で接する人たちって言葉が英語じゃない。アフリカで仲良くなるのに言葉はいらないってことを彼らから学びました。

ちゃんと人間性を理解することで人と人はつながるんだなって。それにはまず、相手の立場になって考えること。同じ格好をするにしても、同じ食事、同じ生活をするにしても、私がどんな態度や行動をとったら彼らを悲しませることになるのかを考え、その反対のことを私はすればいいだけのこと。そうすると自然と仲良くなれるんです。

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喜ばせるのではなく、悲しませないこと

—具体的にはどんな風に接していたのですか?

ヨシダさん:アフリカの人たちは黒い肌を誇りに思う反面、劣等感を持っています。だから私が肌を覆ったり、肌に日焼止めを塗ってないかをマメにチェックしてくる。私が日焼けによって肌が赤く腫れ上がったり、皮が剥けたりするのを見ると、鎌を掛けるように「痛いでしょ、ねえ、帰りたいでしょ?」って話しかけてきます。

そんな時、「これであなたたちと同じ色になったよ。おいしそうな色でしょう」って言うとすごく喜ぶんですよ。

逆に、肌を覆ったり、何か塗ったりしている人は、自分たちを見下していると思うので、アフリカの人と接する時は、彼ら彼女らが普段コンプレックスに思っていることを汲み取ってあげることが大事。相手を喜ばせるのではなく、悲しませないこと。

28歳〜 ヨシダナギ以上でも、ヨシダナギ以下でもない。

—そこから、どういうきっかけでフォトグラファーになったのですか?

ヨシダさん:2014年の末くらいに、旅行先で初めてアフリカの少数民族に今の作風のようにポーズをつけてもらって撮影をしてみたんですね。その写真と、私が彼女らと同じ格好になった写真がいつの間にかWEBメディアでまとめられ、SNSで拡散されて。そこで、なぜか私の肩書きがフォトグラファーになっていたんです。

それがテレビ局の演出の方の目に留まり、出演のオファーをいただくわけです。「フォトグラファーなんですか?」と尋ねられて。「WEBメディアではそう言われていますね」って否定も肯定もしなかったら、「行ってみたいところがありますか」と聞かれたので、顔をペイントしたり、草花で自分を装飾するなど、世界一ファッショナブルな部族であるエチオピアのスリ族に会ってみたいと答えたら、「ロケに行ってきてもらえませんか」となって。

後日、番組を見たら「フォトグラファー・ヨシダナギ」とクレジットが入っていて。ああ、私はもうイラストレーターを卒業して、フォトグラファーとしてやっていいんだ」って(笑)。

その後、各方面から展示会や個展のオファーを頂くようになり、フォトグラファーとして活動が本格化しました。それが29歳の時。だからじつはまだキャリアは3年ほどです(笑)。でも、こうして振り返ってみると、考える前に行動しているだけですね。

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基本的には「Just do it」

—いや、とても刺激的で、まっすぐな20代だと思います。最後に、読者の大学生に向けて20代の過ごし方のアドバイスを送るとすると?

ヨシダさん:私は、迷ったらやると決めています。いつまでも何かをうじうじと考えている状態が私は窮屈というか、好きじゃない。

世の中、失敗しちゃいけないとか、目標があった方がいいって傾向がありますけど、別に失敗してダメなことって何一つないって私は思っています。やりたいことをやってダメだったら、それは自分に向いてなかっただけ。それは失敗じゃなくて、次に同じ過ちを繰り返さないで済むための経験とか学びだと思ってます。

だから、やれない理由を並べている暇があったら、一回やってみればいいじゃんって思います。ダメだったら辞めればいい。私が明日、フォトグラファーという看板を下ろしている可能性だって、ゼロじゃないわけですからね。

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