【学生団体 Bizjapan】東南アジアの学生の現状とJumpjapanのイベント@ハノイ



「50年前、自分のおじいさんが造ったワインが中国の貿易商の目に留まっていなかったら、僕は今頃、田舎の実家でブドウの水やりか、ホーチミンでバイクを修理する仕事をしていただろう。そうならずに済んだのは、本当に幸運なことに生まれる前のくじ引きで当たりくじを引いたからだ。自分はとても恵まれているから、毎朝、今日こそ事故にあうんじゃないかとドキドキしながらバイクで通学するんだ。」

高校3年生の夏休みに参加した、国際インテリジェンスコンテストで知り合ったベトナム人の友達とハノイ市で再会したのは2017年の1月のことでした。コンテスト中も抜群の暗算力と卓越した英語力でベトナムチームを5位入賞に導いていた彼は、当時、既に、アメリカ、ケンタッキー大学への進学が決まっていました。
私の「おめでとう。」の言葉に対して、彼は「生まれる前のくじ引き」という言葉を使って、彼なりの謙遜をしました。そしてこう続けました。「僕は本当にラッキーだけれども、それにしても、志帆は、最高の当たりくじを引いたね、羨ましいよ。日本のパスポートはどこの国でも信用してもらえる。日本の大学に通って、東京で一人暮らしをして、アメリカにも留学するんだろう? 最高じゃないか。」
それ以来、「生まれる前のくじ引き」「当たりくじ」という言葉が私の頭の中に強く強く残りました。

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1月に旅行でハノイを訪れるまで、私のベトナムのイメージは、コンテストで知り合いになった、彼を含めた英語を流ちょうに使う、ベトナム代表の高校生たちでした。しかし、実際にベトナムを訪れてみると、英語を理解できる人は町には殆どいません。お店で値段を尋ねるときは指を立てて何度も確認します。車といっても自家用車ではなくタクシーがほとんどです。多くの人は車線も信号もない道を、布マスクとヘルメット付けてバイクで移動しています。中には、ヘルメットを着けていない人や、両親で子供たちをはさむようにして親子5人乗りのバイクもいますが、取り締まりはないようです。お店の前に小さないすを並べてひまわりの種を食べている人や、野菜やお米を売る行商の人。アメリカに進学する彼や卓越した英語力を持ったほかのベトナム代表のメンバーは、やはりこの国では特別な存在なのだろうと感じました。
そして、ようやく、彼の着ているジャンバーがほかのベトナムの人々のそれより厚くて生地がいいこと、バイクがピカピカで少し大きいことに気が付きました。

その後、大学に入学し、Bizjapanに入った私は、JumpJapanプロジェクトにかかわることになりました。
ここで、Bizjapanのプロジェクトについて少々お話したいと思います。JumpJapanプロジェクトの目的は、日本語学習者が多い東南アジアの学生を対象に日本の大学や企業についてのインフォメーションセッションを開くことで、将来の選択肢の幅を広げてもらうことです。JumpJapanプロジェクトはファーストステップにすぎません。
第二段階に位置づけられるCareerDesignStudioというプロジェクトがあります。これは日本で学ぶ外国人留学生を対象に、先輩留学生をパネラーにパネルディスカッションを開催し、将来のキャリアをより具体的にイメージできるようになってもらうこと、また、留学生の先輩後輩同士の交流の場を設け、情報交換等を活発に行ってもらうことで、彼らのコミュニティづくりを促進することを目的に行っています。
以上の段階を踏み、最終的には、高いスキルを有した留学生たちに、引き続き日本で活躍してもらうことを目標にしています。

今回、JumpJapanが開催されたのは、ハノイ、ホーチミン、クアラルンプール、ジャカルタの3か国4都市です。担当決めの時、私は迷わずハノイを希望しました。
イベント当日は日曜日の朝早い時間にも関わらず、大学生や大学院生を中心に55人のベトナムの学生が集まってくれました。ベトナム語、日本語、英語など話すことができる言語は人それぞれですが、Bizjapanの留学生メンバーに積極的に質問をしたり、メモを取ったりと積極的な姿勢がうかがえました。日本のアニメのキャラクターのTシャツを着ている人や、日本でもおなじみの漢字ノートを机の上に広げている人もいて、日本のことを近くに感じてくれているのが伝わってきました。イベントアンケートでもポジティブなフィードバックをたくさんもらい、イベント自体は大成功であったと自負しています。しかし、今までの私の考え方に、疑問符を投げかけられる経験もしました。

正直なところ、イベント後の懇親会で、ベトナム人の学生たちの日本語能力、英語能力が想像していたよりも、ずっと低いこと、そして日本での生活費どころか、片道の飛行機代ですら、みんな出すことができないことに驚きました。「生まれる前のくじ引き」の言葉が再び頭をよぎりました。
ベトナム人の学生たちはそれでも奨学金がもらえればお金の方は何とかなるかもしれない、このまま頑張って勉強すれば日本で働くことができるかもしれないと前向きで、私もうなずきながら頑張ってね、と言い続けていました。しかし、先輩メンバーは違いました。JumpJapanのプロジェクトを立ち上げた先輩メンバーはベトナム人学生に対してきわめて真剣な面持ちで「このままの君のペースで日本語を勉強していても、到底、日本企業で必要とされているレベルには到達しない。日本語学校に通うか、ベトナムでやりたいことを探すかどちらかにした方がいい。」「日本の私立大学の学費は日本人にすら高すぎる。奨学金の機会も君が思っているよりもはるかに少ない。もう一度、日本への渡航をやめることも視野に入れて将来設計を考え直した方がいい。」と語り掛けていました。私は、厳しすぎるのではないかとも感じましたが、ポジティブな情報と、日本の魅力だけを発信して背中を押すことは将来の選択肢を広げるというよりも、彼らにとって本当にベストな選択をぼやかしてしまうだけであるのだと気づきました。つまりテロリスト予備軍のラベリングをすることはそんなに難しくないはずです。

もう一つ、「高いスキルを有した留学生たちに、引き続き日本で活躍してもらう」という目標に共感し、そうなればいいと思っていました。しかし、それは日本人である私たちのエゴなのかもしれないとも感じました。
ケンタッキー大学に進学した彼は、半年間の導入期間を終えて、私がイベントを開催するためにハノイに滞在していた期間、ちょうど帰省中でした。半年ぶりに再会した彼はアメリカでの生活についてこう私に語りました。「アメリカは、すごいところだったよ。左ハンドルの平たい車が信号に合わせて規則的に動いている。ご飯は一食ベトナムの10倍くらいの値段がするけれど、量も10倍あるから、あんまり損をしたとは思わないよ。人が本当に多くて、お店も会社もたくさんあって、生活は遥かにベトナムより豊かだ。けれど、あまりに人も物も多すぎて、僕はアメリカにいると埋もれてしまうのではないかと思う。まだ始まったばかりだけれど、アメリカでは僕は、何かとてつもなく大きい機械の歯車の1ピースになってしまうのではないかとさえ思うんだ。だから、もしかすると大学を卒業したら僕はベトナムに戻るかもしれない。その方が僕は埋もれずに、たくさんの人たちのために何かできると思うんだ。」彼の話はスッと腑に落ちて、納得してしまった自分がいました。 

今秋から、ベトナム-日本間の直行便は増便されます。昨年から、ベトナムの小学校では日本語が英語に並ぶ第一外国語として学ばれるようになりました。ハノイの玄関口、ノイバイ国際空港のターミナルと、空港と市街地をつなぐ橋は日本企業が建てたものであると、帰りのタクシーの運転手が教えてくれました。今後、日越関係はさらに親密になるでしょう。その中で、日本にあこがれを持つベトナム人学生も増えるに違いありません。
そんな彼らに、「当たりくじ」にあたった私たちは、どんなサポートができるだろうか、どんな形でのサポートが彼らにとってベトナムという国の将来にとってベストなのだろうか、時間をかけて考えていきたいと思います。

ビズジャパン第5弾の記事はコチラ!

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